双六小屋まで行かねば 8月12日(木)

夕暮れの槍ヶ岳

5時少し前から朝食がはじまった。僕らも、今日は長丁場。早目の出発を心がけ、荷物は昨夜の内に作っておいた筈。その努力は虚しい事に。二階から降りる時には、もう誰も居なかった。「双六で!」っと言ってMが、とっても大きいリュックを背負って出発。靴紐を編み上げ、うちらも15分遅れで出発。

朝食 みんな出発済み Mの出発

寒い!高天原の草には霜が降りていた。寒い!去年は見過ごした、岩苔小谷の分岐を無事左折。危険な場所は無いが、とにかく急傾斜の薄暗い針葉林の中をしばらく行く。でも、寒い。軍手さま様です。1回目の休みが1時間歩いた後。やっと暖かくなる。15分休んで、次は、日向になる直前、一寸早いが30分後。日陰で一寸休む。
霜の降りた高天原 暗くて寒い
針葉樹林帯
水晶池分岐
出発して直ぐに、水晶池への分岐。長丁場を意識して二人とも寄ろうとはしない。そのまま歩き続ける。いよいよ森林限界。今度は、日差しがモロに当たり暑くてあつくて。急いでいるのだが、暑いと疲れるんです。8:50-9:20まで、また(勝手に命名:白樺休憩所)で休んじゃいました。後は、太陽ギラギラの岩苔小谷を息絶え絶え、小休止しながら登りつめ岩苔乗越しへ。到着は、10:50。去年より20分早い到着。去年は、二人とも此処でハラヘタ状態。昼食でした。しかし、今年は二人とも 全く食欲なし。白樺休憩所で菓子を食べ過ぎたかぁ?。しかし、今回の山行きで最高地点である、此処をそのまま通過するのも悔しく、25分以上も停滞してしまった。その岩苔乗越の景色を満喫し出発して間もなく(10分後)二人は、ハラヘタ状態となった。当然、昼食である。乗越でそんなに長く休んだ記憶が無いので、ゆっくりお食事&記念撮影。30分間の食事休憩。〆て55分休んでしまった。
白樺休憩所から     岩苔乗越し間際
雪渓が今年はチッチャイ
横浜・元町Fukuzoを
持って記念写真

黒部川水源地票で15分休んで、三俣山荘に着いたのは、13:50。去年より遅いが、相棒は二階の喫茶でケーキセットを注文、僕は双六小屋へ遅れての到着お願い電話。作業分担です。三俣山荘の受付のアルバイト兄チャンへ「宿泊じゃないんですけれど、電話借りたいのでテレカ売ってください」「電話壊れているから使えないヨ。これから、他の小屋に行くには遅すぎて小屋に迷惑かけるから止めるべきだ。」「携帯持っているんだったら、鷲羽か三俣登れば、 繋がるよ。僕だったら20分で行けますから、そうして下さい。」 俺切れた。「あっ、そう!!。ばぁ〜ぁか!!」って感じ(でも、言いませんでしたよ。)こちらの事情も聞こうとせず、ただ「僕だったら20分で行けます。」を得意になって繰り返すだけ。相手にしても時間の無駄。早々に二階の喫茶に行って、事情を相棒に話して、早々に出発。去年より遅れること30分。でも、解凍に時間の掛かるケーキセットは、チャンと食べましたよ。出発の時、またもや去年と同じようにMが鷲羽から到着。でも、今年のMは大いにバテて居ました。。1リットルの水を飲みきって脱水状態だったようです。去年と同じように、お先に(14:30)。
例年ある大きな
雪渓が無い黒部川源流    
旧年から移動した
      徒渉地点
鷲羽岳経由で
三俣山荘到着の脱水状態M
今年の、三俣峠までの道は、去年と違って硫黄尾根より。眺めが良い!頑張った。45分で峠到着(15:15)。15分休んで、三俣蓮華岳を目指す(15:30)。途中、下山する二人に「今から登るのは危ない!。双六までなら下を行ったほうが早い。」と忠告されたが、もう一人が、「知っているんだよ。大丈夫だよ」。頂上へは、20分後に到着(15:50)。到着後、直ぐに丸山側でdocomoを出して双六小屋(連絡事務所)へ電話をする。聞こえて来た女性の声は「毎度、有り難うございます、マクドナルド高山店…」間違った!直ぐに「ごめんなさ い。間違えました。」再度、試みるが、なかなか繋がらない。圏外。1本の繰り返し。電話がやっと繋がり、 快く6時過ぎの到着を受け入れてくれた。電話をしている最中に、五郎方向から、疲れ果てた親子二人がたどりつく。「双六小屋まで行くのだが、巻き道と稜線とどっちが早い?」と聞かれる。僕らだって、判んないヨ。「初めてだけど、稜線行って、途中から中道行きます。小屋泊まりだったら、電話しといた方が良いのでは?」docnmnなら繋がるよ。「ボーダフォンじゃダメですかねぇ?」チョト冷たいが、急いでたんで、持ってないから、知らない!お父さんは、しぶといと言うか本当に困って居るみたいで、冷たくあしらったのに、今度は、「電話番号知っていたら教えて!」そんなこんなしているうちに、Mが到達。風は無い。しかし、十二分に傾いた太陽からの日差しは弱い。寒い!時間がないので、早々に、銀幕状態で無く、晴れ渡った始めての三俣蓮華岳頂上を出発。電話とおやじ相手で、景色眺められず残念。五郎のカールがシルエットだった景色のみを記憶しての出発だった。ついでに、収穫はボーダフォンも繋がるらしい。
三俣峠への道から     山頂から 稜線からの巻き道

Mもうちらの後に付いて出発。そして、例の親子も、あとを追う様に出発した様だ。2、1、2人の隊列だ。Mは、我々に気遣ってかチョット離れて付いて来る。親子とはかなり離れた。一旦降って、昇りつめた“丸山”らしき平坦な所で一休み。写真を撮り、チヨコレイト。Mも追い付き一緒に休み。晴れ渡っり無風の、夕暮れ時の稜線に三人、実に気分がいい。此処からは、暫く平坦な道。だんだん双六岳の頂きが大きくなり、近づく。少し降って、中道と登頂道の分岐。後ろのMが、僕に「xxさん、中道歩いた事にあるんですか?」「ないよ。でも、双六行くには時間が無いヨ。尾根からの下りも危ないから、初めてだけど、中道を行く。」今、思うと双六へ登れば、あの有名な光景<豚の背尾根の向こうに槍穂高>が確実に眺められた筈。残念。相棒は、今、特に残念がっている。でも、その時、僕は、無事に一刻も早く小屋に着く事しか頭に無かったので、そんな事、想像もしなかったのです。
中道は、分岐から暫く降る。疲れ始めていて、かつ、急ぐ気持ちを抑え安全に下る為、僕らは例の合言葉「こまた!小俣!」を連発。そして、たいした勾配ではないが、朝から歩き通しの体には、長く感じる登りが始まる。Mは、始めて聞いた我々の合言葉を理解出来ていなかった事を、後で、会社で知った「“こまた!小俣!”って何の事?」。登りが終わり、少し行くと双六の尾根への分岐が現れ、それを通過して直ぐに巻き道と合流。
丸山付近から     そろそろ夕暮れ
     中道から
双六尾根への分岐
あとは、小屋に向かって急降下の道。巻き道との合流点は、既に日蔭。止まると、とっても寒い!しかし、急降下の道で転ばない為に、僕には休憩が必要だった。座り込んだ、僕たちを見て、Mは安心したのか「もう直ぐだから、先に行くよ」と言い残して、先に下っていった。相棒と二人。陽は既に双六の向こうに沈み、とっても寒い。早々に立ち上がり再出発(17:52)。双六小屋には、6時を過ぎた18:10到着。受付で名前を告げると、さっきの電話が伝わっていたようで、温かな夕食が待っていた。
でも、本当に最後の到着だった様で、食堂は、例の親子と僕たちの4人+1人のおじさんだけ。この1人のおじさん(勝手に命名:西鎌行きたい!おじさん)盛んに西鎌の様子を聞くが、どうやら僕と同じで高度感あるところが苦手な様で、僕たち行ったこと無いので答えられません。いつの間にか相棒は、受付まで行きワインを買いグラスを借りてくる。常にアルコール調達は、相棒の役目と成ってしまっています。みんな片付け終わって、従業員の方に悪い気がして、急いで、でも、たらふくお変わりして夕食を終わった。相棒がMへお礼を言いにテント場に行こうと言う。ビールを相棒は買ってきた。そのビールを持って、薄暗くなったテント場を、「何処何処から来たMさん、いますかぁ〜」を繰り返しながら、テント場の中を歩き回る。ちょっと恥ずかしい。そして、寒い。一番遠い、池の辺りまで来ても反応するテントがない。諦めかけ最後の一声を挙げたときに、直ぐ横のテントから「ウォ−。一寸待ってください。今、大変なんだから。」テントの中で食事準備中だった様で、火を使っていたのだ。「ビール持って来たよ。高天原で飲んでたろ。」「いらない。今忙しいから。」一寸、タイミング悪かったみたい。「じゃ、戻るわ。今日は、お世話様!」二人で、「買ったビール困ったなぁ」っと言いながら小屋に戻る。今年の指定された寝床は、去年と同じ部屋。12〜3枚の布団が敷ける広さ(1枚の布団に2人は原則)。今回は、去年の出入口即横の2枚布団ではなく、その隣の二枚布団。入口脇は、部屋の人の出入がうっとおしい。今年は、その奥なので安心。ふと奥を見ると、太郎平小屋にいた勝手に命名:身勝手親父連がいた。相棒によると、今朝も高天原で食事が同じテーブルだったとか。僕、覚えてません。太郎平小屋の時と同じく、彼らの1人は眠ってる。もう一人が起きていて此方を見て、少し話をしたが余り覚えていない。かなり疲れていたので、消灯前なのに寝入ってしまった。
閑散とした小屋到着     夕食 残照の当たる鷲羽岳